エッセイ「気持ちいい」

加藤登紀子さんのステージの画像
コンサートの癒し効果

気持ちいい

 

このところ「癒す」という言葉をよく耳にする。

一体、何をどう癒すと言っているのだろう?

整骨や鍼灸、マッサージなどだろうか?

 

まあ、今は確かに老化と共に腰や肩が凝るのでマッサージや整骨はとても嬉しい。

 

癒しは英語ではヒーリングと言い、傷などが癒えて治癒してゆく過程を指すと説明している。じゃあトラウマ(心的外傷)など心の傷に対する癒しとはと問うと話は突然難しくなってしまう。それも私自身がトラウマ解放コースを提供してきた経験から、最近になってトラウマは思うよりもずっと根が深く実は完全に癒されることはないのだろうと思うようになった。

 

でも、そう難しく考えることはない。完全に治癒しないなら、ただいい気持ちになればいいのさ、と考えるようになった。

 

ドイツ語圏を飛び回わっていた頃は、旅行の合間に自宅でゴロゴロしたり、マッタリしたりする時間が大事だったりしたが、基本的に私は建物の中でじっとしているよりも遠出したり旅行する方が好きである。

 

当時、近郊の森を歩くことが一番の楽しみで時間があると歩いた。ドイツの森は大都会の近郊でも自然が多く残されている。森の国である。自然の中を歩くことで自分のリズムを取り戻す気持ちよさを良く理解していて、森の散策者も多いし散歩道も充実している。

 

オオカミやイノシシに出くわす危険があるならストレスだが、たいてい鹿やリスやウサギを見かけるだけなのでとてもいい気分だ。

 

気持ちがよくなっただけで世界はポジティブに思える。

人々が穏やかで親切に見えてくるから不思議だ。

アルファー波なるものが加担しているせいだとの説もある。

 

そして、この「気持ちいい」というキーワードは癒しが必要かどうかの自己診断にも使えると思う。

例えば、職場や自宅が「居心地がいい」なら、そこがあなたの居場所だ。

収入と支出が「滞りない」状態なら財政は安定している

男女関係や家族との関係が「いい気持ち」なら暖かい環境で幸せに暮らしている。

 

自分だけが大きな負担やストレスを抱えることなく「気持ちいい関係」を作れるなら、少々のトラウマがあったとしても、この社会に十分適応できている証明だと思う。

 

先日、加藤登紀子さんのコンサートに行って来た。

彼女は70歳とはとても思えないほど元気なオバサン歌手でステージの上で唄って踊って輝いていた。60年安保闘争の時代に東大生。そこで人生の伴侶に会い、同時にシャンソン歌手としてデビューを果たし・・・と激動の時代を生き抜いた人だ。

「ほろよいコンサート」と名付けて、観客には入場してすぐに振舞い酒が提供され、自分でも舞台で大きな杯を傾けていた。私も一杯頂いた。すると彼女は「さあみんなで乾杯しよう!」とステージの床に座り、杯を大きく構えて「酒ヶは~大関ぃ、心意気ぃ~♪」と野太い声で歌ってから呑んでました♪ 今も「酒ヶは~ぁ・・・♪」と私の頭の中で鳴っています。

 

いい気分になる酒も心地よい音楽ももちろん癒しだけど、一緒に唄って踊って呑んでという共有時間を持つことは大きな癒し効果だなあ~と実感した。

 

師走はとりわけ酒の席と歌の宴が多いが、忘年会とかカラオケとかコンサートとか劇とかも、実はエンタメはすべて「いい気持ちの癒し」を提供しているということだろう。

 

 

羅王