エッセイ「カードの奇跡」

タロット:大アルカナ
タロット:大アルカナ

カードの奇跡

 

ラスベガスのカジノで一度遊んだことがある。

もともとギャンブルには興味がなく

パチンコにさえ行ったことがない私だが

10年ほど前に妻と次女との3人でアメリカ旅行した際に立寄った。

 

豪華で広大な施設と慣れない雰囲気に圧倒されて

私はウロウロするかスロットマシンでチビチビ遊んでいたが、

娘はルーレットにかじりつき妻は

ブラックジャックのテーブルから離れなかった。

 

ラスベガス2泊の間、

部屋に戻って寝る時間も惜しんでただひたすらカジノで過ごした。

 

ブラックジャックはディーラーがカードを配り

その持ち札の合計が21に近い方が勝ちというゲームだ。

 

妻は憑かれたように

二日間ブラックジャックのテーブルに座り続け

最終日ラスベガスを去るときも名残惜しそうだった。

 

おまけに旅行から戻って

「私ディーラーになる」

などと言い出したものだから家族皆で

「ええ~っ?」

と驚いたものだ。

 

妻曰く:ヘンじゃない?

どうやったって最終的にはディーラーが勝つ。

イカサマじゃないのに

100%ディーラーが強いのは不思議でたまらない!

 

カードにまつわる出来事で

最も印象的だったことは渡欧して2年目。

冬のウィーンで起きた。

 

その冬は結婚して30年近い年月の中で最も辛い冬だった。

保守的でヒエラルキーが今も色濃く残る華麗な古都に

自分の居場所を見つけられず

慣れないウェイターバイトの日々で私はウツウツしていた。

 

ビザも取れず大学入学への道も閉ざされていたので

将来が見えず夫婦生活でも行き詰まりを感じながら、

何故かよく二人でポーカーをやっていた。

 

ある時、何度目かのポーカーで

いつものように私に5枚、妻に5枚配る。

私はワンペアだったので3枚捨てて新たに3枚引いた。

妻もワンペアらしく同じように3枚捨てて3枚引いた。

 

さあ、どうだ。

お互いのカードを開いてみると、

妻と私のカードは5枚とも全く同じ数字だったのだ。

 

「え~、ビックリ」

妻が驚いてお互いに何を捨てたのか捨てたカードを見てみると、

なんと二人とも同じ数字のカード3枚を捨てていたではないか。

つまり、

我々は全く同じ組み合わせの5枚のカードを持ち、

同じ組み合わせの3枚のカードを捨て、

同じ組み合わせの3枚のカードを引いて、

再び同じ組み合わせの5枚のカードを手にしているのだ。

 

これは偶然というよりも奇跡に近い。

 

これからも夫婦としてやってゆくという思いがカードに現れたのだろうか。それからほどなくして妻と私は夫婦関係を修復すべくドイツに戻る決心をし、無事ハイデルベルクに引越して大学への入学も果たした。

 

カードはそれを扱う者の内側にある大きな意思に従う。

意識とか運勢と言い換えてもいい。

 

ラスベガスで何故あれほどまでにカードに魅せられたのか。

ずっとその理由を考え続けた妻と私が辿り着いた答えが

「大きな意識」と「その表現としてのカード」だ。

これがウィーンで起きたあの出来事から

ずっと繋がっているテーマである。

 

現在私は占い師の仕事と並行してタロットを教えている。

「カードは扱う者の大きな意識を表現する。」

 

これは誰でもタロットを扱うことが出来ることを示している。

 

占い師に頼らず誰もがタロットで

自分の深層心理を探ったり

未来の可能性を問い掛けたりできるのだ。

 

タロットを教えながら私は、

いつか人々が占い師を必要としない日がくるだろうと覚悟している。

 

ただし、誰もが扱えるからと我流で始めても上達しない。

出てきたカードを読む技術は誰かに習う方が近道だろう。

 

そう、そのために私がいるのだ!

 

羅王☆彡(^王^)ノ~