エッセイ「父の思い出・チョンギース」

父の思い出「チョンギース」

人生でもっともお金のない40歳の頃、ある夜父親の夢を見た。
夢の中で兄が父のために酒を持ってきたのに、頑固な父は、
そんなもん要らん、と雨の中に出て行った。

そして、父が門を出る寸前、その顔は
当時裁判中であった店舗の家主に変わりそこで目が覚めた。
えっ、なんで父が家主なんだ・・・?

考えてみれば当時の私は度々壮年の男性と問題を起こしたり
逆に過剰な親近感を抱いたりすることが多かった。

父は私が13歳のとき病気で他界した。
病名は肝硬変だったので恐らく酒の飲み過ぎだったのだろう。

若い頃の父は造船の職人だったらしく
戦艦大和の製造にも関わったのだという。
その後は会社経営で成功し羽振りのいい時代もあったらしいが
よくある話で共同経営者に金を持ち逃げされ破産したそうだ。

私の記憶にある父は酒びたりで
母とぶつかってばかりいるみじめな姿でしかない。

片方の足を引きずっていたのは、
背中の手術が失敗したせいだと嘆いていたが
たぶん軽い脳梗塞の後遺症だったのだろう。
同じ側の手も不自由だったし言葉も不明瞭だった。

思春期真っ只中だった私はそんな父が恥ずかしく、
なんでこんな父親なのだろうと怨めしく思っていた。

私はそんな父親を恨み続け、その代用として
同年代の男性に父親のような愛情を求めて来たのだろうか?

ところが妻の意見は違った。

「いや。あなたにそんな欠乏はない!
両親に十分愛されてきた人にしか見えない。
よく遊んでもらったでしょ?」と言う。

・・・ん・・・?そう言われてみれば、

夏休みが終わる頃、「ねぇ、チョンギース取りに行こう!」
とせがんで父親とキリギリス取りに出かけたことを思い出す。

当時近所ではキリギリスのことを「チョンギース」と呼んでいた。
今聞くとヘンな呼び名だが・・・。

父は自分をチョンギース取りの名人だと自負していたようで、
キリギリスの鳴く茂みに近づくと、おい、そこを動くな!と私を止めた。

幼かった私はところかまわず茂みを叩いて回る子供だったのだ。
そうやって父は見事に何匹ものキリギリスを捕まえてくれた。

また、竹ひごで虫かごを作るのも上手だった。
そういえば、木工細工を作ってくれとせがんだことも、
よく釣りに連れていってもらったことも思い出した。

そうか、私はしっかりと愛されていたんだ。

それを自分の中で確認できたとき、
父が私に表現できなかった愛情を受け取ることができたような気がする。

すると、大きなエネルギーがやってきて私を包み込んだ。
それは父からのメッセージだった。

「おい、もうオレのために苦しむな」と。
私はしっかり泣いて感謝した。

そうやって過去を清算し手放すことができたのだ。

私がファザコンだったかどうか、そこにはあまり意味はない。
ただ、自分の中のあいまいな部分が
ちょっとばかりクリアになったことだけはハッキリと分かる。

ちょうど自分の内側をフォーカスし始めたころの出来事で
そこが私のスピリチュアルな旅の始まりであった。   
       
 羅王 (^王^)ノ